
「ちいさな火に手をかざしあう」は、とろ火の安久都と、お誘いした誰かのふたりで進める、ちいさな出版活動です。
ふたりのあいだにあるテーマや問いをはじまりにして、いろいろな声を聴きに出かけ、聞き手・話し手・書き手・読み手…みんなで一緒に迷っていこうとする取り組み。
まだつくりはじめたばかりですが、制作日誌として、さまざまを記録していこうと思います。
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出版活動をしようと決めたのは、2025年の夏に一冊のZINEを友人とつくったことがきっかけだった。『ままならない』と題した、短歌と日記の本。出来上がったものを届ける喜びも大きかったけれど、なによりも心に濃く残ったのは、誰かと一緒につくる日々に守られていたことだった。
その友人とは、ふたりだけのSlackを作成し、毎日のように互いの短歌や日記を送りあっていた。投稿に返信などはせず、そっとスタンプを押す。
いつだって消えていきそうな心の動きたちに、宛先があること。それを受け止めてもらえること。そんな些細なことで、なんとか歩いていけるんだなと実感した。
誰かと一緒につくる。ちいさな考えや想いたちを呼応させる。そんな時間を増やしたかった。
だから、これがいいのか悪いのかはわからないけれど、出版活動のなかでは、「つくり手自身の火を守っていく」を第一に掲げてたいと思っている。
ふたりのあいだにあるテーマや問いを起点にして、誰かと一緒に考え、語り合い、さまざま人や場所をたずねる。それは、その人自身のこれからが耕されるきっかけになるはず。
つくっていく過程を大切に眼差す出版活動。
ぼんやりと考えていると、「散歩をしているように、本をつくれたらいいよなぁ」と思った。
散歩が好きだ。心が澱んできたときは、ふらりと散歩に行って、なにかを回復させている。
『歩くという哲学』のカバーの折り返しには、こんな文章がある。
“歩くことによって、人はアイデンティティという概念そのものから抜け出すことができる。なにものかでありたいと思う気持ちや、名前や歴史を持ちたいと思う気持ちから解放される”
僕が散歩で回復させているのは、きっと、“僕自身”なのだと思う。気ままさに委ねることで、結果的にそこに浮かび上がってくるもの。それは、日々の忙しなさで締め付けているものだ。
誰かとつくる出版活動でも、その回復があればいいなと思う。テーマや問いを起点にはしているけれど、それに縛られたくはない。一本軸があるから生まれる強度があるのなら、さまよう時間にしか宿らない引力もあるはずだ。
散歩的につくっていく。ちいさな出版活動だからできること。これは、僕がなんとか歩きつづけるために必要なものだ。出版活動に限らず、僕が体現したい生き方そのものかもしれない。
そして、誰かにとって切実なものは、きっと他の誰かにとっても切実になり得るとも思っている。
つくり手のふたりの内側を守りあうため、誰かのことばに触れさせてもらい、一緒に考えさせてもらう。その様子を誰かに届ける。この点たちをいい感じに流せれば、聞き手・話し手・書き手・読み手…みんなで迷い、みんなで守りあえるのではないか。
ことばとイメージだけが先行していて、まだうまくつかめていないけれど。いま僕が考えていきたいテーマは、本づくりにも重なる、「散歩的な生き方」なのだと思う。
