やっぱり選んでいる気もするけど、なにかどこかで与えられてるんですよ。【なぜ在るのか – 死生観をたずね歩く –】

死生観をたずね歩く

本記事は、死や生についての個人の語りを記録した文章です。一部、心が重くなるシーンが記される場合もあります。どうか無理なさらず、触れられそうなときに触れていただけたら幸いです。

また、あくまでも個々人の感覚を記したもので、一般的な思考を表したものではございません。また、プライバシーの観点から、内容を一部変更している場合もあります。

生と死という途方もないものを語った、たったひとりのことばとして、受け取ってください。

「死や生のはなし」と聞いて2つ浮かんだんです。正反対のこと。あ、でも3つかな。これをさ、どこまで正直に話すか。いや、でも話します。

本当に死にたかったんです、結構ね、シンプルに。人生の最初の方がすごいしんどくて。言ってしまえば暴力的な、抑圧的な家庭が背景にあって。もうちょっとグレたりすればよかったんですけど、グレることもできなくて。

わりかし真面目で抑圧が内側に向かってたから、あのころ一緒にいた友達とか先生とかは、わたしの内側がぐっちゃぐちゃになっていることに多分気付いてないと思う。けど、結構辛かった。

場面緘黙もあって、しゃべれなくなったりして、内側に内側にこもっていて。本当に死にたかったんですよ。子どもだから逃げ場所もなかったし、このまま人生がつづくんなら、どうしたら早いとこ死ねるんだろうと割と思っていて。その延長で手を切ってみたりとか、依存的な行為に走ったりとか、いろいろね。

だから、あのころ死にたかったなっていうのがひとつ。

でも、意外と最近はそんなに思わないんですよね。すごい死にたかったけど、ずいぶん楽になった気もしてて。そこにはいろんな要素がある。夫に出会ったとか、子どもに出会ったとか。いろんな関心があるんだなとか、自分なんて大したもんじゃないなって思ったこととか。いろいろあるんですけど、でも総じて死にたいと思わなくなったんです。楽になったな、っていうのがふたつめ。

あとは、ばあちゃんが、抑圧をつくってたひとつであるばあちゃんが、ちょうど人生が嫌で嫌でしかたがなかったときに亡くなるんですよ。そのばあちゃんの最後の瞬間を偶然看取ることになった、そのときの経験。その3つがパッと浮かびましたね。

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「死にたい」ってはじめて感じたときのことは覚えてません。でも、自分のなかでイメージというか、あるシーンみたいなものは覚えていて。3,4歳の頃とか、ご飯食べてるときにちゃぶ台返しがよくあったんですね。ご飯とかが全部ひっくり返って、ガラスが割れているのとかさ。そういうのがイメージとして残ってるんだよね。

子どものなかでも、「そうか、まずいんだな」とか「思うこと言っちゃいけないんだな」って感じる出来事がいくつかあって。そのなかで、こう、だんだんものが言えなくなってくるというか。そうすると、なんのために生きているかよくわかんない。子どもってさ、転げ回って遊んでいたいんだと思うんだけど、そういうことを言うのも許されない。

いま話しながら思ったけど、「生きていていい」っていうのは、自分の遊びたいとか、これがしたいとかとつながっている瞬間だなって思うんですよ。でも、それを言うこと自体がはばかられることがあって。何をしたいのかもよくわかんないし、生きていても楽しくないって本当に思ってた。もうね、ずっとずっと、人生の前半が辛かったですね。うん、辛かった。

でも、「死にたい」と思ってたけど、死ぬことについてはちゃんとわかってないんだよね。「楽になりたい」だった気がする。生きることは、なんかちょっと苦行みたいに思ってたから。実際苦行だったしね、人生の前半は。苦行から降りたかった。

でも、死んだらほら、賽の河原いかなきゃいけないとか本で読んでさ。たいそう怖いじゃん、ずっと石を積んでるとか。それもやべえなって子どもながらに思ってて。「生きててもしんどいし、死んでもどうせしんどいんか、え、やだやだ」みたいに思ってましたね。

じいちゃんはわたしが小さいころに亡くなってるんです。それで、死ぬことは、この世界からいなくなるってことだ、って思った。そういう感覚はあるかもしれない。いなくなる。ここから立ち去る。

でも、死にたかったのに賽の河原が怖くて。死んだときに生き方が問われる、みたいなはなしもずっとされてきたからさ、そっちもきつそうだなぁって。やだなぁやだなぁって思いながら、うだうだ生きてましたよね。

まぁ状況もさ、やっぱり変化するから。家族の関係性も変わるし、自分も大きくなると見えるものは変わるし。少しずつ自由になっていくじゃないですか、子どもって。少し話せる友達が増えてきたりとか。

ちょっと楽になった部分と、あーまたひどいなぁってことと。やっぱりずっと同じ状況じゃないから、人の生きるって。そのなかで、目の前のことにいっぱいいっぱいになって。うん、とりあえずやっているうちに、なんとなく歳を重ねていきました。

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ばあちゃんが亡くなったのは、大学生のときだったかな。テスト期間前の休みだったんですよ。レポートを作んなきゃいけなくて。『アマデウス』っていう映画を観なきゃいけなかったんです。あのモーツァルトとサリエリのやつ。

そのころには、ばあちゃんは入院していて、結構やばい状態になっていて。その前からお見舞いには行ってたんですけど、家族から「多分今日やばいから、あんたお見舞いに来なさいよ」って。最初は「映画観るからさ」って断ったんだけど、なんかやばい気がして、病院に行ったんです。

ばあちゃんの顔って、毎日違うんですよね。すっごい怖いしかめっ面をするときもあれば、寝てる顔が子どもみたいな柔らかい表情になることもある。最後の方は、男の人が入ってくると「お父さん、お父さん」って言ってて。とうとう痴呆もきたな、ってわたしは思ってたんだけど、今思うとじいちゃんが迎えに来てたんじゃないかな、とかさ。

で、ばあちゃんのところに行ったら、誰もいなくて。看護師さんも母親も。誰もいないじゃんって、ばあちゃん見たら、なんかすごい穏やかな顔になってるんですよ。このあいだは地獄のような、阿修羅のような、ほんとすごい顔してたんだけど。

「穏やかな顔じゃん」って思って座ってたら、急にピーッピーッって鳴って、そこで心肺停止して。で、そのすごい穏やかな顔が、ひときわ穏やかな顔になって。涙が一筋流れたんですよね。それで亡くなって。

なんかわかんないけど、じいちゃんが来たんだって思った。それで、人生の最後に会いたい人に会えるなら、それはそれで悪くないなって思った。じいちゃんとばあちゃんって結構激しい喧嘩する人たちだったんですけど、それでもまあ愛してたんだなとかさ。死ぬことはそんなに悪くないなって。

それもあってか、自分が死ぬことに対して、なんかそんなにネガティブな感覚がないんですよね。ばあちゃんの涙が流れた瞬間も、幸せそうだなって思ったし。そこにいれたことは良かったと思う。

たぶん人って、一人で死ぬんですけど、会いたい人に会えるんじゃないかって感覚。そのとき、生きていこうともちょっと思った。悪くないな、死ぬことはって思った。

なんで「生きていこう」と思ったかはわかんないんだよね。論理的なつながりはわかんない。なんかね、そのとき詩を書いたんですよ。今思い出した。ばあちゃんが亡くなったあとに書いたんだよね。稚拙だけど、「さよなら生きてく」って書いた。「あなたが歩いた昨日がわたしの明日になる」とかも書いた気がする。なんかよくわかんないんだけど、生きていこうって思ったんですよね。不思議。なにか受け取ったんでしょうかね。

うん、いまも死ぬのは怖くない。痛いのとかは怖いですよ。絶対嫌じゃん。なるべく痛くない死に方がいいって思いつつ、でも、だんだん穏やかになって、表情も柔らかくなっていくこととか、すごく幸せそうな一瞬の感じとか。そういう映像が自分のなかにあると、それはなんかこうひとつの希望だよね。会いたい人に会えるんだって。

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「生きる」について、かぁ。その時の自分はどこまで考えていたんだろう。でも、卒業に向けて就活はじめようとしていた気がするんだよな。なんやかんや前向きだった、不思議と。必死だったっていうのもある気がするけど。

なんかさ、現実に必死になる瞬間って、考えるのが疎かになって。それがかえって楽だったりすることもあるじゃないですか。そういう部分もあった気がする。

当時は向精神薬とか睡眠薬とか飲んでたんだけど、全部やめようと思って。カッターで削ってね、毎日、ちょっとずつ。一刃分削ったぞ、みたいにやっているとなくなっていくじゃないですか。必死でしたね。自分の気持ちを聞いてそうするっていうよりかは、良くならねばって感じ。

それはあんまりなんだけどね。ちゃんと見つめたわけじゃないから、数年後に具合も悪くなるし。良かったかというと、そうでもないんだけど。でも、そうやって社会に戻っていった感じですね。そうか、ばあちゃんのこととつなげて考えたことなかったけど、そういうラインもあるのか。

家の雰囲気も変わったんです。人間ひとりがいなくなるだけでさ、雰囲気って変わるじゃないですか。そうすると、自分のなかの心配事とかさ、やんなきゃいけないこととか、エネルギーを使う範囲にちょっと余裕が出る。それもあるんじゃないかな。

「生きる」でなにを感じたいかは、ずっと変化してて。辛かったときは、生きる意味は本当にないと思ってたし。なんかね、自分のことを血が詰まった革袋だって思ってたんだよね。これを言うと気味悪がられてたんだけど。こう、一枚革袋があって、なかに血が詰まってて、あとはなんにもないみたいな。

なんだろう。10代20代は普通にならなきゃみたいな、あんまり楽しい方向じゃないんだよね。必死に普通にならなきゃって。自分は普通以下の人間だから普通にならなきゃって、必死に頑張って普通を目指してはみたんですけど。

でもね、就職して楽しかったんですよ。大変なこととかムカつくこともいっぱいあったけど、楽しかったんだよな。同期との関わりもそうだし。仕事って、やっぱ社会への関わりじゃないですか。ヤなこともたくさんあったけど、誰かと関わって何かをするとか、自分が予想もしなかった方向に行くとか、それを見てくれる人がいるとか。結構楽しかった。

職場の人たちもいい人たちだったんですよね。のびのびいろんなこともさせてもらって、いろんな出会いもあって、人に巻き込まれる形でちょっとずつ関心が出てきて。そのころに出会った夫もね、素敵だったの。そうしたら、ちょっとずつやりたいことが出てきて。転がるように行った気もするんだよな。意外と楽しかった。

やりたいことが形になっていく、というより、見つけたというか。「面白いことってあるんだ」みたいな。夫もさ、いいやつで。それまでの恋愛は自分をどれだけ大事にしてくれるかとか、どれだけわたしをかまってくれるかって思ってたんだけど、夫に対しては「この人を幸せにせねば」と思ったんだよね。その人といる自分が好きで。自分がずっと嫌いだからさ。だって、血が詰まった革袋って思ってたから。でも、その人といるときの自分が好きだなって思った。

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子どもはね、仕事を数年勤めてやめたあとに妊娠がわかって。もともと、早く産みたいとかはなかったんですよ。

あ、でも、大きな地震があったときのこと思い出した。

図書館でひとり過ごしてたら、そのときに揺れたんですよ。免震構造だからか、もうすごい揺れるの。あえて揺らすから、ギシギシ、ギィギィいうんですよね。めちゃくちゃ怖くて、「あ、死ぬのかな」って思ったときに、なんだかよくわかんないんだけど、「わたし子ども産んでないのに死ねない」って思ったんです。自分の死を覚悟すると、「子どもいないのに死ねない」って考えるんだなって。

そう思ったのは、そのときが最初ですね。子どもを持つ欲求とか、お嫁さんになりたいとかもなかったし。自分のなかでは意外だった。生命の危機を感じると、急に「子ども産んでないのに死ねない」って思う自分がいて。なんか嫌だなとも思ったけど。「あんた産みたかったの?」って結構愕然とする。

でも、実際に妊娠がわかるまでもわかってからも、大きな不安はなくて。いろんなことを見つけはじめたときだったから、キャリアが途絶えるのは怖かったけどさ。社会に戻れなくなるんじゃないかって。でも、子どもが来るってことに対してはあんまり不安はなかったんだよね。

つわりとかで気分悪かったりはしたけど、普通に楽しんでた。あと、あれなの。結構たくさん薬飲んでいたころに、その影響で「もしかしたら産めないかもね」って言われたこともあって、ダメなのかって思ってたのもあったからよかったなって。

出産のときは、人生のピークだなって思った。わたし、すごい仕事が好きで。ワーカーホリック人間なんですけど、どんな素晴らしい仕事をしても、それ以上大きなことはできないんだろうなって思った。

なんの大きさだろう。目の前にさ、生き物がいるんだよ。ものすごい痛かったってこともあるんだけど、それを乗り越えたってことより、人ひとりの命が生まれたこと。わたしだけのことじゃないしさ、本人が頑張ったっていうこともあるんだけど、うん、ピークだなって思って。仕事も大好きだけど、仕事とかってくだらないなって思って。このひとりの命が生まれるってことに比べたら、これからどんな素晴らしいことを生涯かけてやったとしても、今日のことには叶わないなって。人生のピーク。

だからなんだろう、余生感もあるんだよね。下り坂です、わたしの人生。だめだよ、あれ以上のことはできないよ。

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子どもと一緒にいるってさ、自分の人生の再演みたいなことがあるんです。その考え方は、実は結構危ういなって思ってるけど。混同しちゃうとさ、暴力になるじゃないですか。でも、デパートの屋上の遊園地とか行くと、同じ遊園地に昔連れてきてもらったな、とか思い出す。なんか、あのころの親が考えてたことがちょっとわかる、ってことがあるんですよ。

子どもの人生とわたしの人生は違うけど、しばらく一緒にいると、自分の人生を今までと違った見方で思い返したりするんだよね。重ねすぎるとやばいし、わたしの親との関係性も見えてきて、結構ね、辛くもあった。でも、いろいろ紆余曲折あって、子どもっていう人がいて。

最近思っているのはね、いろいろすっ飛ばしちゃうんですけど。なんて言うかな、母親みたいなことがさ、理想化され過ぎだなって。いままで一緒に生きてきた態度が良かったかというとそうじゃないし、大した母親じゃないんですけど、それでも子どもは許してくれている。そういうときに、ちょっとね、許せるんだよね。親のことも。わたしも大したことないわ、みたいなね。あのころよりはなんぼかましだけど、とか思いながら。

自分の人生が違う角度で見えたり、自分も大した母親じゃないって思うことで、親への恨みがしゃあないなぐらいになる、みたいなことも起きて。そうすると、親の人生とかも少し違って俯瞰して思うようになったり。ばあちゃんの人生とかも。

そこから、他の人の人生をきくって関心が生まれた気もする。うん。なんかね、自分がこうしたいから生きるってこともそうなんだけど、流れのなかでいろんなことに出会ったり、許せたり、起きたりするんだなってちょっと思えるようになってきた。いまの「生きる」ってそんな感じがします。

あとはさ、子どもが存在しないってさ、ありえないじゃんと思うんだよね。子どもが存在しない世界を考えられない。生まれなかったら、なんてことはもうゼロだなと思って。この人が存在しない世界はありえない。そう思うと、自分が生きてきた道が嫌だなって思うこともいまだにたくさんあるけど、それ以外の選択肢ではこの人が生まれなかったって考えると、もうなんか正解でしかないんだよね。そうなんだよ、この生き物が存在しえなかったなんてありえないの。

だから、順番は多分そっちが先で。この人が生まれるために、わたしはこれを選んだのかもしれない。過去から未来に進んでいるんじゃなくて、未来から過去に来て現在に行ったり、過去から未来があって、現在がわかって、とか。子どもが生まれるとさ、時間軸みたいなものがその通りじゃなくなるっていうか。この存在がいない世界はありえない、ってことから過去に遡るみたいな。

そう考えると、わたし生きててよかったじゃんとか思うんですよ。この存在がいるなら。いやぁ、子どもってえらいよね。子ども、まじえらい。わたしが教えることなんてないよ。トイレはトイレでしようとか、挨拶しようねくらいで、あとはもうなにもない。

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最近は、せっかく生まれたなら面白いことしたいって思う。ここまできて、ちょっと軽いけど。なんかね、人生の最初で負債を払った感覚はあって。だから、あとはもうボーナスステージみたいな気もしてて。生まれ変わりとかはあると思うんですけど、多分人間じゃないと思うし、人間じゃないほうがいいと思うから、せっかくなら楽しいこととか面白いことをしたいなって。明日消えちゃうかもしれないし、いつまでつづいているかよくわかんないし。

ここ最近は、あんまり死にたいとは思わない。悲しいこともあれば楽しいこともあって。これまではずっと怯えていたんだけど、やっとね、怯えが解けてきたんだよね。怖くないな、世界、と思って。嫌な奴もいるけど、優しい人もいる、みたいな。だったらもっと伸びやかに、したいと思うことをしたい。それでもさ、ちょっと安全策とっちゃったりして、「あーあ」とか思う日もあるんですけど。

自分のなかにまだある怯えとかも見つめながら、せっかく生まれてきたんだったら、ちょっとは自分が嬉しいと思うこととか楽しいこととかを享受したい。なんか、あるんですよ。そういう瞬間が人生で何回かだけ。このために生まれてきたな、とか、こんな人生が待ってると思わなかったとか。そういうのがポロっと出る瞬間がこれまで何回かあって。そっちの方に行きたいなって、最近ずっと思ってる。

誰かのはなしをきいているときは、そう感じるかな。プロジェクトマネジメントとかも好きだったしさ、コミュニティづくりとかも若いころはしてた。たぶん誰かとなにかを作るときに、自分の想像をしえないことが生まれる、ってことにドキドキするタイプみたいで。予想がつくことより、予想がつかないことのほうが好き、みたいな。だから、その不確定のなかで「あ、これも起きたのね」みたいな感じで風に吹かれて、楽しく生きていきたい。

話をきくのもそう。なんか、だいたい自分の想定しない場所にいくじゃないですか。すごい身近な人の話をきいたってさ、人間は海のようだなって、どこまでもどこまでも深いなって思う瞬間がある。そういうのが好きですね。

数年前にはじめてインタビューしたとき、自分が開く感じがしたんですよね。話をきいて、思わぬなにかに触れたとき、自分が開く感じがした。多分ね、わたしはすごい閉じてたんだよね。だから、人に出会って話をきいて、自分が開くみたいなのを感じてた。

でも、それも最近少し変わってきていて。なんか好きになるんですよ、世界が。美しいものがあるんだなと思って。この人にも美しいものがある、とかさ。わたしは妬ましさを抱えている人間で、人に対して批判的で、「本当なの?」みたいなことをずっと思ってるんですね。だけど、すべての人のなかに美しいものがあると思うんだよね。それを見つけようとするっていうことが喜びだし、美しいなって思えるとき、なんかこの世界がもっと好きになるというか。そしたらちょっとさ、生きていたくなるというか。

ネガティブな方を見ていくとキリないと思うんだよね。ネガティブの方が見つけるのって簡単じゃん。多分美しいものを見ようとするのは、意志だと思うんですよ。それを見れたときに世界が好きになるというか、多分それはちょっと自分も好きになっている。

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いまも自分が死ぬのは怖くないけど、大切な人たちが死ぬことは怖いですね。夜中ハッて目が覚めて、なんか急に寂しくなることあるじゃないですか。夫が死んじゃったらどうしようとかさ。そういう類の不安は感じる。じいじばあばのとこに子どもが泊まっていて、隣の布団にいないときとか、「あ、どうしよういなくなったら」って、そういう怖さを感じる瞬間はある。

でも、自分が立ち去ることについてはやっぱ怖くないんだよね。それはばあちゃんのこともあるんだろうし。いや、まあね、自分がなにもできないまま死ぬんじゃないか、って想いもないわけじゃないけど、それより好きな人たちがいなくなることの方が怖いかな。

うん、やっぱり立ち去るって感じ。どこに行くんでしょうね。楽しみだよね。楽しみとか言っちゃって。どっちかっていうと魂ある論なので、まあなんかどっかに行くんでしょうね。

おはなしできてよかったです。何かがひとつ違ったら、この時間もなく、わたしも安久都さんも生まれてこなかったんだよ。だからさ、やっぱり選んでいる気もするけど、なにかどこかで与えられてるっていうか。そう思うんですよね。いろんな出来事を努力でなんとかしようって思うことも普通にあるけど、それ以上に与えられているいろんな偶然のほうが人生を形作っている気もして。うん、聞いてくれてありがとう。

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【なぜ在るのか–死生観をたずね歩く–】

みなさんの“死生観”を聞かせてもらい、書き残していく活動です。文章は、すべて匿名で公開予定。

死生観と言われると身構えてしまうかもしれませんが、おはなししながら浮かんできたものを見つめていくので、形となっている思考がなくても大丈夫です。

「子どものころ、“死”についてどう思っていましたか?」などの投げかけからはじめます。

糸の端っこから、少しずつ、少しずつたどっていけたら嬉しいです。

もしおはなしを聞かせてくださる方がいらっしゃったら、下記のフォームからご連絡いただけますと幸いです。
https://forms.gle/TBRW868R2ar9YkpGA