
「生きる意味ってなんなんだろう」など、わかりっこない問いにぐるぐるしてしまう友人とふたりで、死や生にまつわる本の読書会をはじめました。ひとりだと抱えきれないものを前に、みんなでおろおろしていこうとする会。
一冊の本を、数回にわけて読み進めていきます。僕たちも詳しいわけではまったくないので、一緒に考えていければ嬉しいです。
<過去に読んだ本>
『誕生のインファンティア』(西平直)
『TIMELESS』(朝吹真理子)
『声の地層』(瀬尾夏美)
❏今回の書籍について
『コンパッション都市 公衆衛生と終末期ケアの融合』
(著:アラン・ケレハー 監訳:竹之内裕文、堀田聰子)
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766428261/
<版元より>
共感、そして行動をもたらす「コンパッション」に支えられたコミュニティへ──。
人間に不可避の老い、病、死、そして喪失を受けとめ、支え合うコミュニティをつくるにはどうすればよいか。
「コンパッション都市」の基本的な思想・理論とともに、実践に向けたモデルを詳しく解説。
❏選書理由
以前、この読書会で瀬尾夏美さんの『声の地層』という本を読みました。下記の引用は、その読書会レポートの一部です。
誰かの痛みだったり切実なものを受け取ろう、と自然に思える人は少ない気がする。
https://torobibook.com/seitoshi/koenochiso_3/
けれど一方で、器が自ずと広くなっていく環境、気負わずとも準備が整っていく環境はあり得るのではないか。それはつまり、個人として個人の語りを受け取るのではなく、共同体として受け取っていくということ。みんなで集まって準備をしていくような。
いろいろな人の語りを、みんなで受け取る。それはつまり、人間が持つ裏と表を、みんなで感じるということ。
『声の地層』の読書会ではなしていたのは、「痛みや傷などを含めた語りを受け取るには、準備が必要になる。けれど、その準備はどのように整うんだろう」ということ。これは、決して個人だけに課されたものではなく、もっと集団として、共同体として引き受けないといけない…というはなしをしていました。
その流れで次に読んでみよう、と決めたのが今回の本、『コンパッション都市』です。
病や死、喪失を受け止め合うコミュニティ。おそらくそこには、ただ優しいだけではない、ある種の暗がりをも含みこんだ集いがあるのではないか。
こんなことを書いていますが、僕はコミュニティや共同体が苦手です。どことなく、明るみしかない感覚に陥って居心地が悪くなってしまう。ひとつ前の文章で「暗がり」という単語を使ったのは、そういう意図でした。
とはいえ、傷や痛みをひとりで抱える限界も知っている。じゃあ、どうやって分かち合っていけばいいんだろう…。
とても個人的な問いからも、『コンパッション都市』を読んでいきます。みなさんもそれぞれの問いを抱えてもらえたら、そして一緒に考えていけたら嬉しいです。
❏読書会の進め方
<詳細>
オンライン&全5回(後述)で進めていきます。通しでも、単発でも参加できます。各回のレポートは公開していく予定ですし、毎回脱線に脱線を重ねるので、途中からでも大丈夫です。
参加いただくみなさんには、該当範囲を読んできてもらい、当日に用意する共同編集可能なドキュメントに感想や疑問などを書いてもらいます。
その後、ドキュメントを手がかりのひとつにして、参加者で語り合いをはじめていく形式です。
- 自己紹介・チェックイン
- 共有ドキュメントへの記載
- 記載内容の共有&語り合い
<開催者より>
会のなかで、やわらかい記憶に触れてしまう瞬間があるかもしれません。どうか無理せず。可能な範囲で考える/話す/聞くをしていただけたら嬉しいです。
❏今後の開催について
今後は、約2週に1度のペースで読み進めていく予定です。それぞれの日程は、前回の参加者で相談して決める形をとっています。
第1回:序/コンパッション都市憲章/監訳者解説/監訳者あとがき
11月3日 20:00-21:30
第2回:1、2章(p1〜68)
11月17日 20:00-21:30
第3回:3、4章(p69〜144)
未定
第4回:5、6章(p145〜210)
未定
第5回:7、8、9章(p211〜291)
未定
❏参加方法
参加ご希望の方は、TwitterやInstagramのDM、HPの問い合わせ、info@torobibook.comなどへご一報くださいませ。
