苦しみをどう受けとめあうかは、ひとりひとり異なる? 『コンパッション都市』読書会記録(1/5)

死・生におろおろする読書会

この記事は、11/3に開催した「死や生におろおろする読書会 『コンパッション都市』」を受け、場で出た話題を含めつつ、自身の思考を書き記したものです。

次回は、11月17日20:00-21:30。1章と2章を読んでいきます。詳細は下記から。
https://torobibook.com/oroorobook/compassion-city-0/

今回読んだのは、序文と監訳者の解説。まだまだコンパッション都市の全容は掴めていないため、率直な疑問が多くあがってきた。

改めて、版元による紹介文を読んでみる。

共感、そして行動をもたらす「コンパッション」に支えられたコミュニティへ──。
人間に不可避の老い、病、死、そして喪失を受けとめ、支え合うコミュニティをつくるにはどうすればよいか。
「コンパッション都市」の基本的な思想・理論とともに、実践に向けたモデルを詳しく解説

ここから読み取れるのは、コンパッション都市/コミュニティで大事にされるのは、「誰かの老いや病、死、喪失を受けとめ、支え合う」ことであり、「それらは人間だれしも経験しうる」という理解だろう。

著者は、本を開いた一行目で、コンパッション都市/コミュニティを定義してくれている。

生命を脅かす病気、高齢、グリーフ・死別とともに生きる市民がいます。また家庭でケアを担う市民がいます。そんな境遇にあるすべての市民を手助けし、支援するために組織される地域コミュニティ、それがコンパッション都市・コミュニティです。

この部分を読んだときにパッと浮かんだ疑問は、「病気とは呼べないけれど、深刻な実存的な悩みは想定されているのだろうか」ということ。

僕自身がそうだからだろうか。明確な病気ではないし、なにかしらの喪失を経験したわけでもない。それでも、たしかな苦痛はある。

以前、友達と「うまく名前にならないしんどさってあるよね」と話していたことがあった。言葉になりにくいからこそ、誰かと分かち合うのは難しい。けれど、苛まれているしんどさ。

こういったものも、うまく受けとめあうことができるコミュニティとは…というのが、本書を読んでいくうえでの僕個人のテーマなのだと思う。

このテーマに重なりそうな文章が、巻末の監訳者解説にあった。主軸でもある「コンパッション」と「慈悲」の違いを説明している箇所において、「あらゆる神話は、苦とともに生きる知恵を伝えている」と述べている。

「神話は(中略)苦しみのない生が可能である、生きることに苦しみがあってはならないなどといわない」。それはなぜか。「一切の苦しみの秘かな原因」が、生の根本条件である「死すべき定め」にあるからだ。

p314(「」内は他文献からの引用となっている)

「死すべき定め」が原因となっている苦しみ。僕自身が抱えているものは、まさにこれだ。いつか死ぬという事実と、生きていくという選択とにうまく折り合いつけられない。

苦しみのない生はない、という捉え方を念頭に、コンパッションのことをこう記している。

コンパッションは「そこ(※苦しみ)から解放されるという願いを抱きつつ、苦の真相に向き合う能力」であり、「わたしたちが自分自身および他者の苦しみと出会い、それらに適切に応答する助け」となる。

p325 ※執筆者注

こういった記述からも、コンパッションが対象にするものは老、病、死、喪失にとどまらず、それらの手前、もしくは奥にある実存的な苦しみ――なぜ生きているのか、どうしてあなたが病気になるのか、など――なのだと捉えられるのではないか。

ただ、読書会のなかで話していて、「死や喪失を受けとめる際、実存的な苦しみではなく、宗教のように物語として扱う人もいるんじゃないか」というコメントをもらった。

例えば誰かが病気になった際、「どうして…」と共に問うのではなく、信仰している思想に沿って語ることで、支えようとする場面が想定できる。このとき、苦しみはあるけれど、実存的な苦しみとして表出はしてこない。

そう捉えると、実存的なものを悩むことも、宗教的な思想を身につけることも、「苦の真相に向き合う」実践のひとつなのかもしれない。

おそらく、もっとさまざまな実践が存在している。それらは個々人によっても違うし、それこそ地域やコミュニティによっても異なるだろう。なのだとしたら、各々が各々にとってしっくりくる「苦の真相への向き合い」を持つことが大切なのかもしれない。

会のなかでも、「どんな理論であっても、その理論の出発地点がどうにもしっくりこない人はいると思う。全員に当てはまるものなんてないんじゃないか」という話題があった。

改めて、本書で語られていくのは「老、病、死、喪失を受けとめ、支え合うコミュニティ」だ。その関係がどう編まれていくのかは、人と人のあいだの数だけ存在しているのではないだろうか。

ひとりひとり異なるであろう「「苦の真相への向き合い」」を、本書はどのように眼差しながら、都市/コミュニティへとつなげていくのか。続きを読んでいくのが楽しみだ。

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改めてですが、次回は11月17日20:00-21:30。1章と2章を読んでいきます。

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