短歌日記 25.01.22-25.01.28

生活者の探究/表現
1/22

夜明けから逃がすな 影のなかにだけ青い鳥を探す患者たち

友達と、逃避じゃない生き方についてはなす。社会から逃げ続けることはできない。抗うことはできるけど、関わらないことはできないから。

1/23

吐き捨てた石板がまた溶けていく 彫るたび生きものに成る重石

感性を認めてほしい。孤独な感性に耐えられない。でも、それを作り変えたら意味がない。

知人のnoteをみて、拒否感を覚えた。ひなたに向かう言葉が、しんどい。

1/24

くるくると虚無飾る図書室のなか赤子と爺のワルツと哄笑

日中、いつもの公園ではなく、図書館のとなりにある公園へ。車の通りからも離れていて、静かな空間。

日差しをあびながら、お子を抱いている。腕のなかで笑っている。

1/25

狂ったように書き留めたうなずきをふたりで抱え海底をゆく

上諏訪の一箱古本市に出店。朝に出発し、夜に帰ってくる。3人で行けたのが嬉しい。

出店は楽しいけれど、いつも勝手に気後れしてしまう。つまらないと思われるのが怖い。相も変わらず。その先でなにを恐れているのか。

1/26

またあのすべり台に乗せられる番 ふんづけた蟻を見上げたら星

心地よいというその感情は、相手を下に見ているだけだったりしないか?

1/27

この宇宙で生ききることと枯れ草を纏う唾は透けていたこと

森山直太朗の「生きていることがつらいなら」を聴く。

昨日の夜、お子が起きて俺たちを探して号泣していた。聞いたこともない声で。

生きていたいではなく、生ききってみたいとはじめて思った。

1/28

盗んだ暮らしに追われる少年とえくぼを借りた少女の眠気

久し振りに予定がない日。掃除や買い物をして、あっというまに終わっていく。しっかりと暮らすと、忙しくなる。それは人間らしいのだろうか。

お子の昼寝のお供をしながら、映画「PERFECT DAYS」を観るも、横になっているのもあいまって眠くなってしまう。淡々と生きるって退屈なのだろうか。そこになにかを見出すのだろうか。

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