小学3年生の秋。夕方の時間に、リビングでひとりテレビを観ていたとき。ふと泣きたくなったことがありました。理由もわからず混乱していると、じわりじわりと「人はいつか死ぬ」という事実が頭と心を占めていく。
小さいながら、「死」という言葉や概念は知っていたはずです。でも知っていただけ。それが自分に、家族に、友人に等しく降りかかるものだとは思っていなかった。
「僕もお母さんもお父さんもお兄ちゃんも、いつか死ぬの…?」
死んだらどうなるんやろう。動かなくなるのは知ってるけど、じゃあ僕が死んだとき、僕はどこにいるんやろう。お母さんが死んだら、お母さんはどこにいるんやろう。
死の先は、ぽっかりと虚ろになっていて。どんな想像さえも入りこめない。なのに、考えてしまう。考えても考えても考えても、虚ろなまま。なのに、思考が引き寄せられてしまう。
怖くなって、台所の母のもとに泣きじゃくりながら駆け寄った。母からの言葉は覚えていないけれど、抱きしめてくれたことと、あのときの夕暮れは心にくっきりと残っています。
「いつか死ぬのに、なんで生きるんだろう」
この問いが、意識的に、あるいは無意識的に僕の根底にあり続けていました。
死が怖い、ではなく、すべての存在が偶然でしかないという事実が怖い。なにを考え、なにを残したとしても、それらは全て虚無に消えていく。子孫を残す、という本能があったとしても、その種もいつか消えていく。
それでも生きるのは、なぜなんだろう。
その問いに深く分け入ったのは、2023年の秋、自分が親になったときでした。妻の妊娠期間や出産に際しての記録は、以前下記のnoteに記したので、そこからいくつか抜粋してみます。
空に浮かぶ雲は優雅に流れている。山々は微動だにしない。はるかな自然は悠然とそこにあり、人間はいのちを継ぐために叫んでいる。静かに佇む大きさと、激しく呻く小さきもの。
なんだこれは。
人間は、なんてちっぽけで、美しいんだろう。いのちの流れに乗ることは、世界や宇宙からみたらなんの意味もない。それでも叫び、継いでいく。なんだこれは。極大と極小が、いまここにある。直線の端と端が繋がる。僕は生きているんだな、生きていくんだなと思った。妻も、あなたも。生きているし、生きていくんだなと思った。どんな生物も、必死にあるいは鈍感に、いのちを継いでいる。
子を産めない男は、この“いのちの流れ”を、伝える・唄うのが役目なのではないか。そんなことが心に浮かんだ。大きくてちっぽけな営みの横で、立ち尽くすしかできない存在。もう片方は、いのちの流れを全身で感じ、物理的に継いでいる。いのちを望んだのは、両者なはずなのに。気を抜くと、流れに置いていかれる。傍にいるのなら、いのちの流れを自ら感じ取れ。世界に保存しろ。“いのちの感覚”を取り出せるように。それが、いのちを望んだのに、なにも負うていない存在が担うべき役目なのではないか。これだけ叫び、ちっぽけさが生まれる。それが繰り返され続けている。論理なんかじゃない、これは。そこにあるなにかを掬い上げて、いのちに触れないといけない。
このときの文章で、“いのちの流れ”という言い回しで表現したもの。その正体はわかりません。わかるものでもないと思います。きっと言葉で捉えても、指の間から逃げていくもので。でも追い縋らないと、消えていくもので。
「いつか死ぬのに、なんで生きるんだろう」を抱え続けてきました。いまも、僕の真ん中に流れています。
けれど、「生と死」とは異なる層があるんじゃないかと感じるようになりました。このふたつが対置されるのではなく、直線の端と端が結び合うような、互いに絡み合って成り立つような、“いのちの流れ”と便宜上名付けたような、ある種の超越的なもの。子どもが生まれてくれた日、僕のなかにはじめて宿った感覚。
僕たちは、生まれたときから死にゆく存在として生き、いつか死を迎える存在です。人間だけでなく、あらゆる生物、物質までもにそう言える。どの時代、どの場所にいても、虚無が待っている存在です。でも、「生まれたことと、死にゆくこと」だけではない“なにか”が、きっとそこにはある。
「いつか死ぬのに、なんで生きるんだろう」という問いは、その“なにか”を眼差すための問いだったのかもしれません。あの日の夕暮れからずっと、僕を動かし、暗闇に誘い、生かし続けているもの。
しかと掴めないとは知りながらも、言葉に翻弄され、言葉以外も大切に携えて、ひたすらに追い縋ってみようと思います。
「生まれたことと、死にゆくことと、…」は、生と死と、さらに途方もないものを眼差すための営み。どうぞよろしくお願いします。