“生きる”が終わり、めぐるもの。その先でただ、生きること。|看護師 久保優美さん

生まれたことと、死にゆくことと、…

はじめて「死」に触れたのは、いつだっただろう。祖父が亡くなったときだろうか、実家の愛犬が亡くなったときだろうか。

冷たくなった存在を前に、涙を流し、あたたかな気持ちで思い出を眺めたことはある。

けれど、「死」に触れたという感覚はなかった。そこにあったのは、「死んでいる」という状態であり、「生が終わる」という「死」そのものはつかみあぐねていた。

僕が出会った「死」はいつでも完了形であって、現在形の「死」に触れたことはない。

生きている存在が、死んでいる存在へと移り変わる瞬間。スイッチのようにぱちんと切り替わるものではないはずで、でもグラデーションのようなものでもない気がして。

その瞬間には、なにが宿っているんだろう。

身体はどんどん冷たくなって、亡くなったことを感じるんですけど、その方が生きてきた時間を共にできると、ただ冷たくなるだけの死ではなくなって。そこにあったかさが残るんです。

そう語ってくれたのは、「診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ」に看護師として勤務している久保優美さん(くぼまさみさん。以下、まさみさん)。

地域看護師として活動するまさみさんは、ほっちのロッヂで訪問看護や訪問診療などを通して様々な方のお看取りを経験してきた。

まさみさんは、“生きる”が終わる瞬間に触れるなかで、なにを感じているんだろう。

初夏、やわらかな風が吹く公園でおはなしをうかがった。

近くでは、一緒に公園へ遊びにきた僕の妻とお子が散歩している。青い空、木々の緑、妻とお子という存在を感じながら、生と死をめぐりただよった時間。

この記事は、よかったら外で風に吹かれながら読んでみてください。一緒に揺れることができたら、とても嬉しいです。

看護師になったから、言えなくなったこと

看護師を目指して大学に入ったんですけど、「あれ、間違えた!」って思ったことを覚えています笑。みんなナイチンゲールみたいに優しくて聞き上手な人ばっかりで。

「私は、突っ走っちゃう型かもしれない」と笑うまさみさん。看護の道に加え、小さい頃から興味のあった国際協力の分野にも踏み出し、青年海外協力隊でパラグアイに赴任。帰国後、訪問看護ステーション勤務を経て、ほっちのロッヂへとたどり着きます。

まさみさんの幼少期のことを聞いてみると、ご両親の仕事の都合で住んでいたバーレーンの小学校が居心地よかったとのこと。

そこがおもしろくておもしろくて。日本人学校でしたけど、全然違う文化に出会える環境で、ひとりひとりが主役として過ごすような学校だったかなぁ。

ほかでもない“わたし”を見てくれる環境。それが心地よかったからか、日本へ帰国後、「全員が手を挙げるのを待つ」ような小学校がつまらないと感じたものの、帰国子女の学生が多い中学校に進学し、“まさみさん”が育っていくことに。

国際協力への関心も、まさみさんが長年育ててきたものでした。

私は日本人に生まれて、いまこの生活をしているけど、違う国、違う時代で生まれていたら、全然違う人生だったんだな…って。不公平感、と言うとちょっとおおげさかもですけど。そんなことを感じる環境でずっと育ってきたから、世界にいるいろんな人が幸せになるようなお手伝いができたらな、と国際協力への興味はずっとあったんです。

“わたし”には、国籍や性別、家庭環境や地域環境など、さまざまな要素がくっついています。変えられるものもあるけれど、あがきようのないものもある。ひとりひとりの違いは残酷さにもなり、面白さにもなる。

この“わたし”をめぐって、まさみさんは「看護師」としての自分と、「家族/友人」としての自分についてのおはなしをしてくれました。

私、友達の病気がきっかけで看護師を目指しはじめたんですけど、いざ看護師になっても、家族とか友達とかの近しい人にはなにもできないんだな、と打ちひしがれたことがあって。

看護師になったら、「医療的にはこうした方がいいかも」が浮かんで、友達としてや家族としての言葉が言えない時期があったんです。何気ない一言が誰かの支えになることもあるのに。もちろん、看護師だからできたこともあるんですけど。

とある正しさは、決して完璧な正しさではない。自分が思う悪は、誰かにとっての正義になり得るし、誰かの善意が他人を傷つけることもある。

僕の大好きな、村山由佳さんの小説の一節を思い出します。

幸福とか不幸って、ものすごく個人的な問題だってことなの。確かなのはね。まわりの99人が全然たいしたことないって思ったって、本人が不幸だと思ったらそれは不幸なんだっていうことよ。その反対に、はたから見てどんなに救いのない状況でも、当人が少しでも満足できるなら、それは立派に幸福でありうるんだわ
(村山由佳『すべての雲は銀の…』より)

どうしようもなさとも言える、人間の複雑さが現れている一節です。なにが幸せなのか、なにが不幸なのか、それは当人しか決められない。もしかしたら、当人にも決められないかもしれません。

死生のまつわる場面では、なおさらそう。どう生きていくのか、どう死にゆくのか。そこに、一元化された幸せなんてありはしない。

難しいですよね。看護師にならない方が良かったのかも、って思ったこともありました。

でも、ほっちのロッヂでは、「看護師の久保さん」ではなくて、「ひとりの人としての久保さん」であれ、と言われるんです。看護師としての想いも持った、“わたし”として患者さんとおはなしする。その感覚は、大切にできたらいいな。

人は、儚い。人は、強い。

智史さん(※筆者)は、どうして生や死について考えたいと思ったんですか?

まさみさんが、僕に投げかけてくれました。

つっかえながら、そして、まとまらないまま言葉にしたのは、小学3年生のときに「そっか、僕もお母さんもお父さんも、人ってみんな死ぬんだ」とふいに“理解”し、よくわからない涙が流れたときの感覚。

まとまらなさをゆっくり聞いてくれたまさみさんは、「私も小学生のときに、怖くなったことはあったかも。うちの息子もありましたね」と重ねながら、問いを置いてくれました。

でも、その気持ちは“考えたいもの”として残りはしなかったんです。この残る、残らないの違いってなんなんでしょうね。

たしかに僕も、死、あるいは生について、深く考えた時期もあれば、少し離れる時期もあるし、考えるというより悩む、考えるというより不思議がることもあります。

死生についての眼差しは、さまざま。

協力隊で行っていたパラグアイだと、なんというか、命のエネルギーがあふれているんです。お葬式でも、土葬なんですけど、「墓に入れるな!」みたいにお墓にすがりついて、過呼吸になって失神する人もいるくらい。

日本のお葬式とは、だいぶ雰囲気が違う。もちろん感情的な場面もあるだろうけど、エネルギーとしてあふれるというより、内側に沁みていく印象がある。

パラグアイだと、命を大事に大事にしすぎていない感覚もあって。1台のバイクに5人くらいで乗ってることもあるんです。普通に危ない笑。お葬式では、あんなに感情的になるのに。心はめちゃめちゃ揺さぶられるけど、生に固執はしていないのは不思議でしたね。

フィリピンとかにも行きましたけど、いわゆる途上国では、ただ生きている、“生きる”がそこにある感じ。でも日本だと、生きること自体が目的になっているように思えて。だから死が怖いものになっている気がします。

思えば、「なんで生きるんだろう」とふと漏らしたとき、過剰なくらい心配された経験がありました。「縁起でもない、そういうことは考えるものじゃない」と。

生きるが目的となり、どことなく死がタブー視されている。死を見ないふりして、どんどん遠ざかっていく。

子どものころ、お友達が亡くなったことがありました。でも、そのときは詳しく説明もされないから、「急にいなくなっちゃった」って感じだったんです。亡くなる過程を見ていたわけでもないから、死ぬってことがわからなかった。隠されて、遠ざけられたら、それは怖くなって当然ですよね。

僕も死への社会的視点を内面化してきたのか、生と死を並べたとき、いつのまにか価値判断のものさしを当てていました。言葉を選ばずにいえば、生は素晴らしいもので、死は避けるべきもの、といったように。

メメント・モリという、「死を想え」と訳されるラテン語が、「いまをよく生きるため」という意図で使われる場面もよく目にします。死は、よりよい生の手段として位置づけられている。

でも、このものさしを振りかざしていると、「いつか死ぬ」という事実には打ちひしがれるしかない。死を敗北としたのなら、生きることは常に負け戦です。

では死は、生という光を際立たせる影にすぎないのでしょうか。

うーん……死って避けるものじゃなくて、自然にあることだって、ロッヂに来て、そう思えるようになったかもしれません。在宅のお看取りで、“生きる”を終えることに関わっていたら、怖いものじゃなくなった気がします。

人は簡単に死ぬし、簡単には死なない。儚さも強さも、両方そこにありつづけているんだなって。

あらゆる存在は、死を決定づけられています。でも、死にゆくことがすべてではないし、いま生きていることがすべてでもない。光と影ではなく、生まれて、生きて、死んでゆく。ただそれだけのこと、とも捉えられる。

冷たくなるだけの死が、あたたかさの残る瞬間へと変わる

「あくまでも、私個人が感じていることですけどね」と前置きし、お看取りでの感覚を語ってくれた。

在宅のお看取りに関わっていると、「この方は、“生きる”をちゃんと終えたんだな」って感じることが多いんです。

病院に勤務していたときは、何人ものお看取りが重なると、ある日プチってなにかが切れて、バーっと涙が止まらなくなることもあって……。私の経験不足が大きかったんですけどね。

当時は、お看取りのときに泣いていいのかもわからなくて。私に余裕がなかったから、その人の大切な最期なのに次の仕事を考えていたり。患者さんは目の前の“生きる”に向き合っている。でも私は、「“生きる”を終える」ってことに向き合えていなかったんだと思います。

死生が色濃くただよう現場において、さまざまな都合で心を麻痺させる。仮面を被り、淡々とこなしていく。澱みは溜まり、まさみさんの“わたし”が見えなくなっていく。

その距離が限界まできたとき、“わたし”をつなぎ止めるために涙が止まらなくなったように思えます。

澱み。最期に触れたとき、心を動かすのをやめてしまうこと。「でも……」と、まさみさんは言葉を重ねてくれました。

いまは、澱みをあまり感じないんです。その方のお家に行かせていただくって、普段過ごされている場所に入らせてもらう、ってことですよね。そこには、その方の好きなものとか、昔の写真とかがあって。日々の暮らしの場所で、ご家族ともおはなしして。

何度も訪問するなかで、おのずと、その方が生きてきた過程に触れるんです。その関わりがあると、あくまでもご本人の死ではあるんですけど、ご本人だけの死ではない気がして。なにかをバトンタッチされたような感覚になる。うん。

だからかな、昔と違っていまはもう、おいおい泣いてます笑。

死は、これまでの生と切り分けられて存在しているわけではない。その方の、そして周りの方々の生きてきた時間が絡みあった先に、死がある。終着点としての死ではなく、流れのなかの死。

「最近印象的だったんですけど…」と、まさみさんが語ってくれた、とある方とのおはなしからは、その流れの存在をさらに感じる。

終末期の方で、少し回復された方がいらっしゃって。その方の娘さんが、「母は苦しみたくなかったはずだけど、わたしたちに最期の時間が必要だと思って、持ち直してくれたのかも」とおはなししてくれたんです。

それを聞いて、そっか、ピンピンコロリがいいっていわれるけど、それだけじゃないのかも、と感じました。病気を持ちながら、”生きる”を終える過程を大切な人と共に過ごすことも大事な時間なんだな、って。

“生きる”を終えることを、一緒に過ごす。その方個人の死だけれど、閉じられたものではなくなり、だからこそ、つづいていく生も個人のものだけではない、開かれたものになっていく。

お看取りのあと、ご家族と一緒に、着てもらう服を選んで、着てもらって、お化粧をして…っていう時間がいいんですよね。その方がお店をやっていたときの服を選んだりとか、「お母さんのお化粧はこんな感じだった」と言ったりとか。すごくいい。

身体はどんどん冷たくなって、亡くなったことを感じるんですけど、その方が生きてきた時間を共にできると、ただ冷たくなるだけの死ではなくなって。そこにあったかさが残るんです。

死を敗北として捉えると、決して残らないあたたかさ。もちろん、敗北じゃないからといって勝利でもない。大きな悲しみや喪失感はありつづけます。

そこに流れているのは、悲しみをも含みこんだもの。ものさしなんかでは到底測れない、生と死が溶けあった途方もない“なにか”なのかもしれません。

壮大なものの一部、としての自分を感じている

この“なにか”を考えていて浮かんできたのは、循環、ということば。澱むのではなく、流れつづけ、ぐるぐると循環する。

お看取りのあと、その方の思い出の場所に行って、そこからの風景を見ていると、「私は、あの人が生きてきたところに暮らしているんだな」ってぼーっとしちゃうんです。ひとつひとつの風景が、体温のあるものになっていく。

大切な最期を迎えるなかで、ご家族や近しい人に残るものがあって。もちろん、私にもあって。それがなにかを大切に想う気持ちにもつながるし、他の人のケアにもつながっていく。「あぁ、いい仕事だなぁ」って思いますよ。

誰かの死が、誰かの生に重なる。そして新しい生が生まれ、死を迎え、生まれ、死んでいく。そう思うと、僕がいま生きていることには、いったいどれだけのものが宿っているんだろう。そして僕の死は、いったいどれだけのものを他の生に宿していくんだろう。

人はひとりでは生きていけない、とよく言います。誰かは誰か、なにかに依存している。

でも、こうとも言える気がします。人はひとりでは生きていない、と。生きることそのものが、他なるものの存在を前提としているんだ、と。

死の場面だけじゃないんですよね、きっと。いろんな人とおはなしして、その人が大事にしているもの、愛情を注いだものを知って、それを見て他の人が感動する。

だからなにってことじゃないけど、智史さんが話していた「途方もない“なにか”」って、そういう循環なのかなって気がするんです。

それは人間がつくり出したものだけじゃなくて、自然とか動物とか、地球のあらゆるものもそうで。その循環を想うと、心が震えますよね。

まさみさんのおはなしを聞きながら、妻のお腹のなかにお子の存在がわかった瞬間のことを思い出していました。

当時のことを記録した文章で、僕はこう書いています。

いましか生きていない僕には知り得ない、何百、何千年もの歴史がなだれ込んでくる感覚。父親、母親の顔が浮かぶ。僕は、“生きてきた”んじゃなくて、“生かされてきた”んだなと呆然とした。

無数の生まれては死にゆく存在が、織り重なってきた世界。大げさではなく、すべてはつながっている。

私だって循環の一部でしかないんです。息子たちも、私が愛している存在で、それがまた別のところにつながっていって……壮大なもののなかの一部なんだなって。

お看取りの帰り道にきれいな夕焼けを見たときとか、「あぁ、生きてるわぁ」って、ため息ついちゃう。そういう、心震える瞬間にいたいなぁ。

家族とも、仕事とも、地球とも。切り離さずに、つながっていく

生と死について考えようとすると、どうしても誕生や死別のある現場を思い浮かべてしまいます。けれど、循環を想い、誰か・なにかから受け取る場面は、日々のなかにもある。

生と死を大きな流れに位置づけるのなら、あらゆるものが同じ立場になる。まさみさんの言う「心震える瞬間」は、決して特別なものじゃないはずです。

そうですね、しかも人によっても違う。無理してつかむものじゃないと思います。その人が生きているなかで、自然にスーッと入ってくるものだったらいいな。

私、マラソンが好きなんですけど、気持ちいい晴れた日とか、春の匂いがする季節とかに走って深呼吸すれば、「生きてるわぁ」って感じるんです。庭の土いじりをしていて、出てきた芽を発見したときとかも。

そういうものを、自分の近くに置いておきたいですね。

日々に既にあるはずの、心震える瞬間。妻と一緒にお子と過ごしていて、「この子の存在は奇跡なんやねぇ」と、ふたりでしみじみすることが多くあります。でも、その奇跡は僕にも妻にも、近所の大きな犬にも、借りている畑で育ってくれたじゃがいもにも、ほうじ茶を注いだ目の前のコップにも、等しく潜んでいる。

とはいえ、毎日を必死に過ごすなかで、そのありふれた奇跡に目を見開くのは難しくもあります。

私も、家のことと仕事のことが重なったりして、慌ただしさがつづくと見失っちゃいますね。なんだか虚しくなっちゃう。

もしかしたら、仕事とプライベートをきっぱり分けたほうが効率的で、時間的な余裕は出るのかもしれないけど、それは区切れないよなぁ……って感覚なんです。

私は息子たちの母親でもあって、地域に暮らすひとりでもあって。それってきっと、影響しあっているんですよね。分けたら、崩れちゃう気がする。

自己と他者だけじゃなく、自分のなかのいろんな側面も有機的につながっている。その糸を切ってしまうと、散り散りになってしまう。

あらゆるものの循環の一部だと思うと、なにかから切り離されたら駄目な気がしますね。仕事でいろんな方と向き合うのも大事だし、家族との時間も大切。

土いじりが好きなのも、地球とのつながりを感じられるからだと思うんです。いろんなつながりが自然に重なって、私になっている。

だから無理に切り分けず、無理につながろうともせず、季節が移ろっていくみたいに、自然な流れに任せてただようのもいいんじゃないかなぁ。

いろいろなものとつながっている、いろいろな自分。それらを区別もせず、束ねようともしない。バラバラだけど、つながっている。つながっているけど、バラバラ。

そんな揺れ動いている状態が、ひとりの“わたし”として循環のなかを生きていく、ってことなのかもしれません。

まさみさんの言葉を受け取って、じっと考えて、ぽつぽつと僕の言葉を差し出してみる。ときおり落ちる心地のよい沈黙が、初夏の風になびいている。

ぼーっと遠くの山をふたりで眺めながら、そろそろ時間かな…と思っていると、まさみさんが「少しずれちゃうかもですけど」と、ゆっくりと話しはじめました。

最近、寿命ってなんなんだろうって思うんです。

ただようような“生きる”、でもいい

死にたい死にたいって言ってる人が長く生きて、まだ生きたいって強く願っていた人が早くに亡くなって、っていうのを見ると、寿命ってどう決まってるんだろうって。

でも、そこに意味を求めちゃいけないんだよなぁ。この人はこうだから、この歳まで生きた、この歳で亡くなったとか。

ひとりごとのような、それでいて実感がこもったお手紙のような言葉。一段と、僕たちの周りの空気が濃くなった気がする。

生きるも死ぬも、そこに意味なんてない。それは知っている。

「生きる意味を考えちゃう」と話したとき、「そんなものないんだから、考えるだけ無駄でしょ」と何度切り捨てられたか。でも。そのたびに「なんで、そんな割り切れるの?」と思ったか。

私も割り切れないです。でも、意味のなさにはあらがえないですもんね……。

若い方のお看取りがあると、意味を探したくなっちゃうかもしれません。ご高齢の方が、木々が枯れていくように自然経過で亡くなっていく最期に出会うと、死も流れの一部なんだなって感じるんですけど、若い方のときはどうも。

「その人の役割が終わったら死が来る」って言い回しもありますけど、全然そうは思わないんです。うーん……。人の存在も大きな循環の一部だとしたら、意味付けすること自体がおかしいんですよね。

赤ちゃんとして生まれて、子どもになり、少しずつ大人へと成長し、成熟を経て、年老いて死んでいく。そんな流れが自然なのだと、勝手に捉えている自分がいます。

でも、それは自然じゃない。「普通はこうなんだから、そうじゃないのなら意味があるはず」と思ってしまうけれど、それは勝手に決めつけた流れ。

自然は、自然(じねん)という読み方もできます。これは、「人間の作為のない、そのままの在り方」を指す言葉。

きっと、すべてのことは自然(じねん)。作為はない、つまり、意味はない。

若い方のお看取りで、なかなかそう思えないとき、意味を探してしまうときは、ご家族とよくおはなししますね。何度もおはなしして、一緒に受け止めることで、ご家族も私も、少しずつめぐっていくのかな。

そうか。まさみさんは、「生きる意味なんてないんだから、考えるだけ無駄」と切り捨てるんじゃなく、意味のなさを受け止めるために考えているのかもしれない。

倫理学者の竹内整一さんは、「おのずから」と「みずから」のあわい、という考え方を展開しています。

いつか死ぬということ、そこに意味はないということは、「おのずから」決まっている。けれど、その意味のなさに呆然としていては、虚無感にただただ飲み込まれてしまう。

そうではなく、その「おのずから」を「みずから」引き受けようとすることで、そのふたつのあわいのなかで、いつか死ぬという有限性を生きていけると、竹内さんは述べています。

意味のなさを割り切って、考えを止めるのでもなく。意味はどこかにあるはずだと、探し続けるのでもなく。“わたし”として、意味のなさを受け止めつづける。

生きる意味を求めると、元気なときはいいけど、頑張れないときに辛くなっちゃうんです。私もそういうタイプだったんですけど。

息子たちが生まれてから、力を抜いた「まぁいっか、生きるってこういうもんでもあるか」って、少しずつ思えるようになりました。生きる意味なんていいじゃん、必死にならなくたって、って。

「私、いま生きてる!」みたいな、すごく激しい“生きる”だけじゃなくて、「あぁ生きてるなぁ」って、ただようような“生きる”でもいいんじゃないかなぁ。

私は、“わたし”をただ生きている。きっと、それだけなんですよね。

風が吹き、木々の葉っぱ、足元の草が揺れている。こちらに歩いてきた妻とお子に手を振りながら思う。あぁ、僕も生きているんだな、と。

(取材・執筆・撮影:安久都智史 編集:安久都花菜)