
この世に生きるものが、なぜ、このように在るのかを知りたいのです。
上橋菜穂子『獣の奏者』
生き物であれ、命なきものであれ、この世に在るものが、なぜ、そのように在るのか、自分は不思議でならない。
人生で最も好きな小説『獣の奏者』に出てくる一節。僕はこの作品によて象られてきた、と言えてしまうくらい大切な小説。
この世にあるものがなぜそのようにあるのか。
小学生のころにもらった種は、僕のなかでも弱っちい木に育ってきました。
意味はないのに、存在していること。不思議で仕方ありません。その一方で、意味のなさが怖くて目を背けようとすることも多くあります。意味があるはずだと抗おうとする。
弱っちい木は、僕に深く根を張っています。逃げずに、この木を守っていくことが、きっと僕が僕を生きること。
そのために、いろいろな人の“死生観”をたずねて歩くことをはじめてみようと思います。
死生にまつわる対話の場を開いている友人が言っていました。「生きるも死ぬもわかりっこない。だから、誰しもが同じ土俵で対話できる」と。
だだっぴろい土俵に人を招きながら、僕のなかの木を育てていこう。みなさんの木も育つことを願いながら。
【なんで在るんだろう–死生観をたずねて歩く–】
みなさんの“死生観”を聞かせてもらい、簡単な文章にまとめて書き残していく活動です。文章は、すべて匿名で。
死生観と言われると身構えてしまうかもしれませんが、おはなししながら浮かんできたものを見つめていくので、形となっている思想がなくても大丈夫です。
この時間は「生きる/死ぬ、と聞いてパッと浮かんだものは?」という投げかけからはじめます。
糸の端っこから、少しずつ、少しずつたどっていけたら嬉しいです。
もし「おはなししたい」という方がいらっしゃったら、
info@torobibook.com
または
SNSのDM
へとご連絡くださいませ。

お手紙のようなニュースレターをはじめました。記事の紹介や、記事になる前の生煮えのものを書いた文章たち。不定期ですが、よろしければこちらからご登録ください。