とろ火について

とろ火は、聞きあう/語りあう/読みあう/つくりあう…を通じて、迷いつづけようとする活動たちです。
「自分はこの世に生きるものが、なぜこの世にあるのかを知りたいのです。生き物であれ、命なき者であれ、この世にあるものがなぜそのようにあるか、自分は不思議でなりません」
(上橋菜穂子『獣の奏者』より)
<主な活動>
❏ 死生観をたずね歩いて記録する「なぜ在るのか」
❏ 誰かとつくる出版活動「ちいさな火に手をかざしあう」(制作中)
❏ 私設図書室「おろおろ」(準備中)
❏ 死や生をあいだに置いたお手紙読書会「あちらも、こちらも」(準備中)
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はじめに
最初に。これから書くすべて、僕がやってみるすべてに織り込まれている想いをお伝えさせてください。
小学3年生の夕暮れ。リビングで過ごしていて、ふと気付いた事実。人は、みんな死ぬ。僕も友達も兄も母も父も。みんな死ぬ。怖くて、台所にいる母のもとへ駆け寄った。
「いつか死ぬのに、なんで生きるんだろう」
あの日から僕を動かし、ときに暗闇に誘い、それでいて僕を生かしている想いです。
「考えるだけ無駄だよ」と何度も言われました。「死ぬときにわかるものだから、ただ生きればいい」と何度も言われました。「だから、しんどくなるんじゃないの?」と何度も言われました。
この想いに蓋をしようとしたこともあります。確かなものがあるはずだ、救われるなにかがあるはずだ、と探し求めました。蓋をできたと思いました。これで真っ直ぐ歩けると。でも、蓋の下で僕は腐っていきました。
生と死を不思議に想う気持ちは、絶望と紙一重です。虚無感は、僕を支えると同時に飲み込んでくる。
大好きな小説『獣の奏者』(著:上橋菜穂子)の主人公は、作中でこんな言葉を書き残します。
自分はこの世に生きるものが、なぜこの世にあるのかを知りたいのです。生き物であれ、命なき者であれ、この世にあるものがなぜそのようにあるか、自分は不思議でなりません
なぜ生きるんだろう。なぜ僕は“僕”なんだろう。なぜ“いまここ”にいるんだろう。不思議さと絶望を行ったり来たりする僕の足跡を、これから刻んでいくために。
