【読書記録】ぼくに固有の“延命”を宿題として受け取った。『日常的な延命 「死にたい」から考える』 著:小川和

火守りのつれづれ
小川和『日常的な延命 「死にたい」から考える』 | ナナルイ
2024年4月3日発売表紙のタイトル文字は、著者である小川和(おがわなぎ)さんの手書きです。装丁を手掛けたデザイナーの吉野さんから、「この本は小川さんが読者に向けて書いた手紙のようだと感じたので、手書きでタイトル文字を仕上げてもいいかも」と提案があり、即、採用しました。小川さんからの手紙だと思いながら、印刷所から届いた...

その昔、仲のよかった上司に「安久都って、いつ死んでもいいって思ってない?」と言われたことがある。問いかけへの答えはNOなのだが、そのかわりに「いつ消えてもおかしくない」という感覚を抱えている。存在の軽さ。

“こちら”と“あちら”があるとしたら、その境界線に魅せられていて。ふらふらと気づかぬうちに超えてしまうのではないか、と。

この感覚は、明確な「死にたい」ではない。けれど、重なりあっている気もしている。なのに、「死にたい」という言葉では近づけない。

では、この本はどうか。冒頭、このようなことばではじまる。

“朝、ふと目が覚めて、少ししてから「死にたい」と思った。
理由はわからない。わからないけれどなんだか「死にたい」と思う。
そのことについて考えてみる。”

本書では、これを「幽霊的死にたい」と名付け、さまざまな論考を重ねている。幽霊的。理由の有無を問わず、「死にたい」をみつめていた。希死念慮などのことばでは、包含しきれない。

その言説には、膝を打つものもあれば、首を傾げるものもある。でも、それは当たり前だ。ひとにはひとの「死にたい」があって、重なったり離れたりしながら、それぞれは固有なものとして存在しているからだ。

そう思うと、この本は、著者が抱える「死にたい」に対する、まさに「日常的な延命」として書かれたのだと思う。

あとがきに、著者はこう記している。

“私は、皆さんが抱える「死にたい」について、わかっているわけではありません、むしろ、わかるわけがないと思っています。わかるわけがないと知りながら、暗闇で手をのばす姿勢だけでも形にしてみました”

誰かの、けれど、たしかなひとりの延命行為。それは、生を手放さないための切実なあがき。それを形として残してくれたこと自体が、とても嬉しかった。

きっと、ひとりひとりが持つ固有の「死にたい」に即した延命行為をつくりあげていくのだろう。延命の術を探ることが、自ずと延命となっていく。

さて、ぼくが抱える存在の軽さに対して、どういう延命がありえるのだろうか。この本は、宿題をくれる本なのだと思う。

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