「生きていることがよくわからない」を躱せなくなりそうだから。

火守りのつれづれ

 

ずっと「生きていることかがよくわからない」という感覚がある。呆然としてしまうときもあれば、物悲しくなるときも、晴れ晴れとした心になるときもある。本当によくわからない。

でもいつも、忘れた振りをして日々を過ごしている。仕事は特にそう。生きるがよくわからないのに、この仕事が生み出すものたちは、いったいぜんたいなんなのだろう、などと考えていると、息が吸えなくなる。

昔は、その思いを断ち切ろうと必死で、スキルを向上させたり成果を出したりすることで、うまく泳げるはずだと頑張っていた。結果的に鬱病になったわけだけれど、うまく泳ぐ意味がわからなくて、その感覚が苦しくてうまく泳ごうとしていたんだから、それはそうだろう。

いまはのらりくらりと躱して仕事をし、なんとかやっている。でもきっと、このままだと躱しきれないときがくる。思ったよりすぐな気もする。

そのときに絶望しないよう、「生きていることがよくわからない」に対して眼差しを向けたいと思った。本気で見てみようかと。その方法はまだわかってないけど。

そもそも、「生きていることがよくわからない」がよくわかっていない。自分のまんなかにあるものを、ケア=お世話してあげよう。

まずは近しい気がする感覚たちに触れてみるのが良さそうだ。

・さみしい
・途方もなさ
・畏敬の念
・静けさ
・センス・オブ・ワンダー
・いのち
・わびさび

まずはこのあたりをリサーチしていきたい。

また、他の人たちがどう感じているのかも知りたい。「さみしい」は分かち合いやすい気がする。切なさや郷愁も近いか。あの感覚は、僕にとって物悲しいのに心地がいい。なんでだろう。みんなそうなのだろうか。僕のそれは、「さみしい」なのだろうか。

リサーチして感じたこと/考えたことを記しつつ、分かち合ってみる試みもしていこう。