
この記事は、11/17に開催した「死や生におろおろする読書会 『コンパッション都市』 第2回」を受け、場で出た話題を含めつつ、自身の思考を書き記したものです。
次回は、12月8日20:00-21:30。少し飛ばして、4章と5章を読んでいきます。詳細は下記から。
https://torobibook.com/oroorobook/compassion-city-0/
論文をもとにした書籍だからか、はたまた事実の列挙がほとんどを占めている章だからか、なかなかうまく読み進められなかった。(もちろん、情報としてとても大事なのだけれど)
パブリックヘルスやエンドライフケアの思想の系譜や、さまざまなアプローチが描かれていた1章と2章。
一緒に読んでいる人とも、「今回はなんだか難しかった」と分かち合いながら、それでも気になった点をはなしていると、下記のような描写が主題となった。
これらの活動の正当性を上級スタッフ、医療スタッフ、さらに資金団体にまで説明することは困難であり、面倒であり、哲学的にも難易度が高い。
p55
これは、緩和ケアにパブリックヘルスの考え方を導入する流れへの障壁のひとつを述べたもの。僕の理解だと、要は、エンドライフケア≒死に直面した人たちのケアをめぐるあれこれを、医療現場だけではなく、職場、学校などに浸透させて環境を整えていく、という流れ。
その流れは、哲学的に説明することが難しいとのこと。
会のなかで、地域医療にたずさわっている友人が心から同意していたのが印象的だった。おそらく、この障壁の原因は、健康に関する問題に限らずだけれど、その根本原因は表面に現れるものだけではないから。つまり、複雑すぎるということ。
これは、僕自身が過去うつ病になったときに痛感している。心に不調をきたし精神科に行くと、ほとんどの場合は向精神薬を処方される。これを飲んで調子を見て、また来週来てくださいね、のように。
もちろん、この薬でなんとか繋ぎ止められるものはたくさんあるのだけれど、あくまでも対処療法でしかないことも多い。脳内物質をなんとかしたって、心が蝕まれた環境や思考が変わっていないのなら、どうにもならない。現に、復職したあとの僕は、数カ月で再びの休職に陥っている。
でも、精神科に職場や自身の思考の変容を求めることはできない。例えば、「職場以外のつながりがない」ことが遠因だったとしても、そこに医療者が介入するのはなかなか難しい。
どんな不調だって、一本の糸ではない。なにかとなにかがこんがらがって、意味のわからない塊になって、心身がぐらつきはじめる。これをほどくには、多くの立場から、多くの見方をして、多くの試行錯誤が必要になる。
つまり、領域を越えていく必要がある。医療者が医療の観点だけで見るのではなく、他の分野と連携したり。職場側が、医療者と連携したり。(僕&友人の実体験だと、産業医は機能していないことが多い)
でも、それが難しいのが現状なのだろう。目の前のことをこなすのにいっぱいいっぱいだと、誰かのために越境していくことなんてできない。切り分けられている以上、そこを越えていく必要性を身体と心で実感し、行動に移すというのはかなりハードルが高いのだと思う。
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ハードルが高いのはなぜなのか。身も蓋もなくいえば、面倒くさいのかもしれない。複雑なものをほどこうとするのは、一筋縄ではいかない。意味があるかもわからない。わざわざやるのは難しい。
この難しさを認識しながらも、「でも」と思えるかどうか。
そこをわけるのは、会のなかで出てきた言葉を使うと、「人間という存在そのものに関心があるかどうか」な気がしてくる。複雑な人間への関心は、複雑な状況へと介入していく道となるのではないか。
そう考えると、前段で引用したように「哲学的説明が難しい」ことも理解できてくる。
「なぜ死にゆく人のあれこれを、医療現場以外でも支えないといけないのか」と問われたとき、本書のようにさまざま伝えることはできるのだろうが、それは複雑さに向かう道にはなりにくい。「大切な気はするけどねぇ」で終わってしまう気がする。
だからなのか、2章のはじめにはこう書いてある。
真正な意味でのパブリックヘルスの政策と実践の品質を保証するためには、すくなくとも、教育、コミュニティ形成、国の関与に対するコミットメントが欠かせない。
p31
3つ挙げられているものが具体的にどう関わってくるのかは、まだ描かれていない。ただ、現時点で勝手に推測すると、「教育=個々人の視点の変化」「コミュニティ=共同体としての変化」「国の関与=社会システムとしての変化」という、異なるレイヤーが想定されているのだと思う。
そして、現時点での感覚ではあるが、この本では共同体と社会システムのレイヤーへの言及が多くを占めている。個々人の思考や感覚特性には、あまり触れられていない。
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前の職場を思い出す。社会を変えるのなら、目の前の人ではなく、もっと根本のシステムにアプローチしないといけない、と信じられていたように思う。そして、その過程のなかでは、“ひとりひとり”が置いていかれることは想像に難くない。
社会は社会としてあるのではなく、さまざまな存在が絡み合ってできている。気を抜くと、そこにいる“個”が見えなくなってしまう。単に個が集まっただけではないのが集団の面白くて面倒くさいところでもあるのだけれど。
タイトルにもなっている「都市」もそうだろう。地域創生文脈でもよく言われるが、そこにたしかに生きている人たちが見えていない施策は、あまりうまくいっていないように思う。
人は複雑であり、その複雑さが絡まりあっているのが社会だ。だとすると、社会を捉えようとするなかでも、ベースの視点は人間の複雑性に置くべきなのではないか。
本書は、たしかに生きているひとりひとりを、どのように捉えていくのか。複雑きわまりない存在を、どのように扱うのか。複雑さを見据えられるひとりひとりは、どのように生まれていくのか。
個人的には、そのあたりを問いに据えながら引き続き読み進めていきたい。
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改めてですが、次回は12月8日20:00-21:30。少し飛ばして、4章と5章を読んでいきます。
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